加藤諦三 名言数 4

生 1938年1月26日
日本の社会学者。作家。

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さすが 明察 - 銘無き石碑
自分は愛される価値があると言いたいのだね。甘えん坊 - 銘無き石碑
誰かが自分を愛する方法を教えてあげないと、自分が自分を愛するって意外と難しいんだよ。 - 銘無き石碑

幼い子供達が両親から愛されないと、肉体的にも成長が遅れるということが医学的にも検証されています。
人間が健康に成長するためには、存在を認められているという極めて原初的な事実が必要不可欠です。
十分に愛されていると感じることが出来るならば、愛の問題が必要十分に解決されているならば、人間は他の事柄にも関心を向け肉体的にも知的にも精神的にも成長していくことが出来るのです。
人間は素晴らしいシステムを生まれながらに所有しています。
しかし、大人になった今となっては、幼児の時に得られたはずの当然の愛を与えられることは、もはや不可能です。
ではどうすれば良いのか、それは愛することを学ぶのです。
愛することを自己学習するのです。
愛を与えることを学習するのです。
過去の問題を克服するには、過去をほじくり返しても解決できないのです。
ある程度の過去の事実を認識する必要はあるかも知れませんが、自分自身がさらに傷つくような自己分析は必要ありません。
未来に向かって進む勇気を自分自身に示すのです。
それは、行動することです。
自分自身を本質的に変えることが出来るような行動を起こすのです。
愛に関する知識を蓄え、愛を表することを少しずつでも実践するのです。
知らなかったこと、経験していないことを実行するというのは、極めて難しいことです。
しかし、人間にはこれが出来るのです。
知識を蓄えて知り得た情報を基に、愛を実践することです。
たえば、人を赦すこと、これにはネルソン・マンデラ大統領について知ることが、とても助けになると思います。
彼は南アフリカ共和国の初代黒人大統領になりましたが、それ以前は数十年間牢獄に閉じこめられていたのです。
困難な獄中生活でしたが、それでも、彼は自分自身に負けることなく自分自身を支配し続けることができました、
白人に対する敵意や憎しみには相当なものがあって当然な状況にいました。
しかし、彼は大統領になっても黒人を差別した白人に報復しませんでした。
敵意をむき出しにする黒人達を積極的になだめました。
私たちは、自己学習により愛を学び実践する事が可能なのです。
いきなり宗教的なことを書くと、変に思われるかも知れませんが、イエス・キリストのような無私の愛を示すことが可能なのです。
アメリカには、自分を、家族を、傷つけた人を赦したという話が沢山あります。
たとえば、ニューヨークでは、前を走る車からボーリングの球を後ろの車のフロントガラスにぶつけた容疑者に対して、顔に大けがを負い何針も縫った被害者の若い女性は、彼の将来のために減刑を裁判所に嘆願したそうです。
容疑者が教育の機会を得て将来に自立した生活が出来るように、その機会を与えて下さいと裁判所に申し出ました。
なんと美しい話ではありませんか。
日本では、家族が殺されると報復することが、ほぼ当然なように各方面から報道されています。
難しい問題ではありますが、報復以上のことも人間には可能なのです。
大きな愛を与える人になりたいと望むなら、それは可能なのです。
それが幸福の本質なのです。
幸福な人だけが、本物の成功を勝ち取ることが可能なのです。
世の中には、幸福は後から付いてくると言う考えが蔓延しています。
家を買えば、車を買えば、結婚すれば、子供がいれば、幸福になる。
そうではありません、幸福な人だけが真の愛を表すことが出来るのです。
以上で終わります、不十分な主張をお許し下さい。
- トト
与えられる人に出会えたとしたなら、依存にならないように情緒の成長を促すには変わらず接することが必要になるんでしょうか - 銘無き石碑
君の話をじっくり聞こうではないか。 - 銘無き石碑

加藤諦三先生の本は、若い頃に10冊以上買って読みました。
ですが、私が感じたことは、物事が好転するには本質的な変化を必要とすることであると感じています。
加藤先生の本を読んで、知的な面では理解が深まるでしょうが、では一体どうやって加藤先生の提言を実現するのかということです。
加藤先生の本を読んで幸福になれるなら、皆さん幸福になれれます。
しかし現実にはそうは簡単に行きません。
なぜなら。そう簡単に自発的に献身的に他の人を愛することが出来るようにはなれないからです。
なぜ愛することが出来ないか、その理由は簡単です。
愛を身近に経験したことが極めて少ないからです。
愛を知らないので愛を表すことが不可能なのです。
知りもしない知識を人に伝えることなど不可能なのです。
それは、両親からの愛が極めて限定的で世界の果てに居る人々にまで及ぶような深遠な愛ではないからです。
要するに愛を知らない人が、無私の奉仕を行い、隣人を深く愛するなどと言うことは、不可能なことなのです。
率直に言えば、ほとんどの日本人は真に愛されたことがないのです。
私がここで触れている愛とは、無意識の世界にまで及ぶ真実の純粋な愛のことです。
無意識の世界がこの世的な力や、肉欲的な思いに支配されていては、純粋な愛の表れを期待することは不可能だと言うことです。
この世的な思いに支配されていれば、不合理な力や、権力意志的な力に負けてしまうと言うことです。
問題は極めて深刻です。
この問題に正面から真摯に勇敢に直面しようと意識し始めることによってのみ、隣人を愛することの初めの第一歩が踏み出せるのです。
要するに日本人は純粋に愛以外の混じりけのない愛で、隣人を愛することが出来ないということです。
愛を生み出す第一の原則は、自分自身を正しく受け入れ、自分自身を正しく愛すると言うことです。
自分自身を正しく愛するということは、隣人を正しく愛するという原則と、全く同一の原理なのです。
この自分自身を正しく愛するとは、一体何か?
ここが重要な問題です。
自分自身を愛するとは、自分自身に対する正当な評価が出来ると言うことです。
正当な評価が可能と言うことは、正当な自己主張が出来ると言うことと、密接に関連しています。
つまり、精神的に健康な人は、自分自身に対する肯定的で、建設的で、楽天的なものの見方、考え方ができ、しかも大胆な主張が出来ると言うことです。
ようするに自己主張の出来ない人は、わたしは存在しないと言っているのです。
繰り返せば、自己主張できないということは、存在していないと言うことを意味しているのです。
それは、弱者に対する不当な差別ではありません。
健康な人は、自分自身の主張を建設的に主張できるという当然のことなのです。
ところが、日本人は幼いときから、自己主張することを不当に歪められて、育てられてきました。
およそ、修正が困難なほどに歪められています。
宗教的なことには、あまり触れたくはないのですが、これはキリスト教のような無私の奉仕のような精神的な事柄が大きく影響していると思います。
ですが、私たちはこの問題を克服して解決しなければなりません。
それには、わたしが示す愛は、本物なのかを自分自身に問いかける必要があると思います。
それが、できるなら愛する事への第一歩が歩み出せるのではと感じています。
不十分な主張があることをお詫びして終わらせて頂きます。
- トト
どれが不幸と思うのかの意識の違いによって、見方が異なると思います。うわ〜やだなと思う事柄が一人一人違うように。 - 銘無き石碑

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